届かないボール

キャッチボールとは2人、もしくはそれ以上が相互に投球・捕球を繰り返す行為である。
これはWikipediaでキャッチボールを検索すると出てくる説明だ。

小学3年生で野球を始めた僕は中学1年生になる頃にはそれなりにキャッチボールが出来ていたと思う。
僕の投げるボールは周りの皆よりも速かったし遠くに投げられた。
それ以外の打つ、捕る、走るは苦手だったが投げる事に関してだけは才能があったみたいだ。
小学生の時はキャッチャーをしていて1度も盗塁を刺したことがなかった。
投げるまでに遅すぎるのだ。
もちろん他のポジションでは僕は下手すぎて、中学生になったら野球を辞めようかとすら思っていた。

そんな僕は中学生になりピッチャーをやるようになって褒められるようになった。
ピッチャーなら時間がかかっても問題ないから出来るのだ。
中学2年生の頃には同い年のチームメイトは僕の球を全く打てないほどになった。
当たり前だ。キャッチャーが捕れないんだから。
だけどそんな僕は学校に行っていない、という理由で試合に出させてもらえなくなっていた。
そして、孤立していった。

落合さんに出会ったのはそんな時だった。
母親の同僚に病弱だが野球が大好きだという人が
いるのは知っていた。30歳を越えて未だに
キャッチボールをしたことがないということも。
そしてある日、母親に言われ落合さんと
キャッチボールをすることになった。
最初は嫌がったが、確か欲しかった本を買ってくれるというから行く気になったような気がする。我ながら現金だ。

とにかく細くて見るからに病弱そう、それが落合さんの第一印象だった。
挨拶もそこそこにキャッチボールを始めるがまずボールが捕れない、そして僕まで届かない。
全くキャッチボールにならなかった。
そもそもグローブが新品過ぎて弾き過ぎるのだ。
野球を知らない母親が胸に投げろと横から言って
きたが、胸投げたら確実に心臓に当たるぞと思っていた
心臓当たったら死ぬかも……と、変に緊張したのを覚えている。

15分ほどやったあと落合さんと母親と3人で少し話をした。
落合さんはスゴく興奮して、キャッチボールをしてみたかったということ、初めてグローブを買ってみたということ、野球は見るしか出来ないけどやるのも面白いと思ったということ。MAJORは今の野球漫画の中でもかなり面白いとも。
そして君には才能があるから野球を頑張れと
言った。
僕は微妙な顔をしていたと思う。当時の僕にはもう何を頑張れば良いのかわからなかったから。

その数日後から、母親が毎週マガジンとサンデーを会社が終わると僕に渡すようになった。落合さんが読み終わった物をくれるようになったらしい。お礼だと。
僕は母親を通して漫画の感想を毎週言うように
なった。
そしてそれに対する感想も母親を通して返ってきた。
僕らは母親を通して会話のキャッチボールをしていた。

半年ほど経って落合さんは会社を辞めた。
母親がそう言ったのを僕はそれをなんとなく聞いて部屋にまた戻った。
野球が出来なくなった僕はいよいよ何もしなくなり荒れた生活をしていた。
漫画の感想を言うことすらやめていたし、また
キャッチボールをしようと言っていたという母親からの言葉にも生返事でゲームを死んだ目で続けた。

その2週間後、落合さんは亡くなった。
持病が悪化したらしかった。
そのために会社も辞めたらしかった。
母親に葬儀に行くかと聞かれたが僕は断って部屋に戻った。
忙しい、と言って。ゲームがしたいからと。
本当はゲームがしたいのではなく逃げたいからってわかっているのを気付かない振りをして。

部屋にこもってゲームをしている僕の携帯にメールが届いた。
母親からだった。
内容は落合さんからのメールの転送だ。
そこには自分は今まで好きなものを出来ない人生でつまらなかった。野球をしたくても出来ず、だけど初めてキャッチボールが出来て楽しかった。
君のお陰だ。君はスゴい球を投げられるんだから今は出来なくてもこれから出来る。
そんな事が書いてあった。
僕はここにきて初めて後悔した。
もっと話せたのに、キャッチボールをする機会なんていくらでもあったのに。
なぜ自分はしなかったのかと。

未だにあのときの後悔を少し思い出す時がある。
MAJORを見たり、サンデー、マガジンを見かけるとだ。
数年後に僕は諦めていた高校に入り野球部で中学生の僕が欲しかったものを手に入れる事が出来た。
一番仲の良いチームメイトとの盛り上がる話題は漫画の話題だ。
それが出来るのもあの頃色々な漫画雑誌をくれた落合さんのお陰だと僕は思っている。
あの1度だけ使ったグローブは僕の家で保管されている。
せっかくだからと、たまに使わせてもらっている。

この文章はきっと届かない。
あのときのキャッチボールのようにだ。
それでも届いていると思って最後に書こうと思う。
当時は言えなかったけど、ありがとうございました。本当はもっと話したかったです。
貴方にもらったもので僕は少しだけ変わりました。確かに届きました。